【感染症の治し方補足 食物伝来史からのヒント】
~「医心方」以外の現代の免疫を乱す食事の要素を考える!~
<目次> PARTⅠ
◎古代・中世・近世(縄文・弥生時代~江戸時代まで)
PARTⅡ ◎近代・現代・現在(明治文明開化~現在まで)
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完成した当HP「感染症の治し方ページ」は、平安時代頃の食べ物を基にした古代医学書「医心方」の食事療法です。 ※HPはこちらへ https://ryumachi.ansei-upport.com/kansen/
それ以降、アメリカ大陸の発見による新作物や新しい加工食品等が出ています。
「医心方」以外で免疫を乱す食事の要素を食物の伝来史からみてみたいと思います。
江戸時代までと明治維新から現在までの食べる物の違いが注意ポイントです!
- これから出てくる各時代に伝来した食物・料理・化学物質が、量等でどの程度の問題となるかは分かりません。リウマチ膠原病等のアレルギー疾患者の感染症に気になるものがあれば注意を向けてみましょう。
PARTⅠ
現在、日本人が口にする食物は99.9%外国から伝来したもの!
- 和食が世界遺産になりました。
- また、「古事記」や「日本書紀」に、天孫族が穀物の創造神だとする記述があります。
- そのことから私たちは大昔から日本原産の食物を食べていると思うことでしょう。
ところが、日本の食物の伝来史をみると、99.9%外来の食物なのです。これから、簡単に古代から現代までの食物の伝来史をみてみましょう。幸い日本は、各時代で食傾向がはっきり違い、分かりやすく勉強できます。
【1】古代の食文化のあらまし
先縄文時代(B.C.20000~B.C.10000) 日本列島は氷河期が終わる頃、湖が日本海になり大陸から切り離されました。
【特長】 食物の自然採集、採集食文化(狩、漁)
縄文・弥生時代
【特長】 中国大陸から主食の穀物の作物・食法がほとんど伝来した。<261種中49種、全体の19%が伝来!>
- 穀物…米・大麦・小麦・粟(あわ)・そば・大豆・小豆等
- 野菜…ゴマ・ゴボウ・里芋・大根・ニラ・ネギ等
- 果物…なし・もも・かき等
- 家畜…牛・馬・豚・鶏等
- その他…米酒・飴・塩等
【2】中世の食文化のあらまし
1000年前の平安時代前後から戦国時代・1543年のポルトガル船種子島漂着まで
【特長】 中世は、「医心方」伝来の時代で、中国(随・唐)の食物文化の模倣時代であった。 和食の原型ができた。
- 中国食物文化は、純中国ばかりでなく、ユーラシア大陸の食文化の影響下にもあった。
- 仏教の伝来により、古代の肉食可の食文化から肉・卵・乳禁止の殺生戒律になった。中国の禅寺から、仏教とともに和食の元となる精進料理・懐石料理・茶道・茶の子が伝来した。
当時、中国は<蒸し文化>でケーキ等の洋菓子はなかったが、花林糖(かりんとう)等の油で揚げた菓子は伝来した。
<全体の34%、88種伝来>
- 野菜…春菊・レンコン・茄子・胡瓜・ほうれん草等
- 果物…リンゴ・みかん・茶・梅・びわ等
※すしが伝来しているが現在と全く同じものではなかった。
イノシシ・キジも使った。仏教の殺生戒の影響で、その後、魚だけになった。
- その他…梅干し・味噌・納豆・醤油・豆腐・ゴマ油等
- 唐菓子のうどん・ソーメン、せんべい、饅頭、羊羹・砂糖(黒糖)等が伝来した。
【唐菓子の物語】
- 洋菓子も唐菓子も、元は神仏への供え物や儀式に出されるものであった。人は神殿を建て、自分がおいしいと思う物を供えたら神も喜ぶだろうと思った。そのようにして神に感謝し、自分がこれからも幸福であるように祈った。供え物として擬製品を作るにも真剣であった。
- 饅頭は、中国「三国志」の天才戦略家諸葛孔明(181~234年)が元型となるものを作って、饅頭(まんとう)と呼んだ※故事が起源で、後に「まんじゅう」になった。
※諸葛孔明は、渡ろうとする大河の荒波を鎮めるために肉まんとうを
水神に捧げてまつった。すると、全軍無事に渡ることができたという。
日本には、奈良時代(8世紀)に肉入り饅頭が伝来した。鎌倉時代(13世紀)には、※聖一国師が、現在の酒まんじゅう(供仏用)の作り方を中国(宋)の禅寺で学び、帰国後、筑前博多の承天寺(禅寺、JR博多駅前)を開山、伝授した。
※国師が,人々の担ぐ施餓鬼棚から疫病退散の祈祷水をまく。博多祇園山笠の起源!
- 菓子の菓の艹は飾りで、果はくだものを意味する。いつも手に入らないので、人々は擬製品を作った。唐菓子の元となる簡素でいろいろな型をした供え物の中の棒状のものがうどんになった。
- 奈良時代(710~784)に、仏教の伝来とともに団喜(だんき)という後の団子(だんご)が伝来した。一人っ子(一個)であん入りだった。
- 羊羹(ようかん)は、唐菓子の一つとして奈良時代に中国から伝来した。菓子といっても、羊の※羹(あつもの)で古代中国人は、これを煮こごりしたものを好んだ。それが伝来したのだが、仏教の殺生戒の関係で肉入りは敬遠された。※羊肉、野菜等を煮込んだ吸い物
しかし、仏教とともに伝来した唐風(中国)の食事に不可欠のものであり、朝廷は植物性の材料で擬製品の羊羹のようなものを作った。それは、鎌倉時代に茶道の点心(菓子)として普及し、室町時代に砂糖入練りが改良され、現在のような羊羹が誕生した。
現在の市販羊羹の成分表示を見ると、寒天が使われている。羊羹の羹(あつもの)という字は、上から羊、四つ点のつくりは火を意味し、羊を火で加熱するとできる美しいものとは羹の煮こごりの光沢ではないだろうか。その美しい光沢を再現するために、寒天を羊羹に加えたのではないか。
【3】近世の食文化のあらまし
1543年のポルトガル船来航から江戸末期まで
【特長】 古代・中世は、世界の食文化が中国大陸を通して日本に伝来していたが、近世ではヨーロッパ南方・新大陸南北アメリカの新食物文化が、南蛮船によって直接もたらされた。鎖国中はオランダ船がもたらした。
- 古代・中世とこの近世で世界のほとんどの食物は伝来した。
- 洋風料理の肉・卵・乳・ケーキ等洋菓子(キリスト教の儀式に使う)は、この時代直接伝来したが、仏教の殺生戒律(せっしょうかいりつ)を日本の支配層から仏教徒でない庶民まで守っていたため、伝来しても根づかなかった。
ただし、明治の文明開化での洋食化の基礎となった。
【近世に日本の食物名・料理用語になった外国語】
- パン・こんぺいとう・てんぷら・カステラ・キャラメル⇒ポルトガル語
- コーヒー・ビール・スープ・テーブル・コック(料理人)⇒オランダ語
- 一応、鎖国中も、長﨑の教会領からは南蛮食文化が、オランダ屋敷は紅毛献立が、唐人屋敷からは中国食文化が伝来した。中華風・洋風がちゃんぽんの卓袱(しっぽく)料理は、現在の長﨑ちゃんぽんにつながっている。
<全体の20%、53種伝来>
- 穀物…ソラマメ・トウモロコシ・ジャガイモ・ピーナツ等
- 野菜…玉ネギ・スイカ・カボチャ・トマト・ニンジン等
- 果物…イチジク・バナナ・パイナップル等
- 飲み物…ビール・コーヒー等
- 菓子…南蛮菓子(パン・こんぺいとう・カステラ・ドロップ等)
- 唐(から)菓子(月餅・シューマイ・ギョウザ等)
【新大陸アメリカ原産の作物】 (伝来世紀は異なる)
ジャガイモ(ペルー)・トウモロコシ(メキシコ)・サツマイモ(南メキシコ)
・高地古代アンデス文明の主食としてインディオの生活を支えた。
・インゲン豆等の豆類はタンパク源として一緒に食べられた。
日本には18世紀隠元禅師によって伝来。(南アメリカ)
トマト(アンデス高地)・トウガラシ(メキシコ)・カボチャ(アンデス高地)
ピーナッツ(中央アメリカ)・イチゴ(北米・南米)・
パイナップル(ブラジル)
ズッキーニ(中央アメリカ)・ピーマン(熱帯アメリカ)
他…タバコ(中米)・カカオ(中南米)・ゴム(ブラジル)
江戸時代の発明菓子が現代の大ヒット曲になった!
江戸時代、4代将軍徳川家綱が小麦を、8代将軍吉宗が砂糖の国産を奨励したことで市場に多く出回るようになりました。そして、南蛮船からパンの焼き文化が伝来したことで、今川焼・たい焼きが発明され江戸で流行しました。その功績から200年後の昭和の時代に「泳げたいやきくん」が大ヒットしました。昔から日本人は縁起をかつぎます。おめでたい晴れの日の席には鯛が出ます。鯛の名前がついていて縁起のいい「たい焼き」は、今でも人気があります。「たい焼き」とはうまくつけたものです。
引用・参考資料 「日本の食物史」他